ご案内

神仏に加護を求めて、お金をお供えしたり勤労奉仕したりする方も多いものです。
仏教ならお費銭、神道でお玉串といいます。 新興宗教では、早起きをして町をきれいにする奉仕をする団体もあります。
もちろんキリスト教でも古くから行われていることです。 ところが、神様はお金を受け取るのではなくて、そのお金に込められた真心を受け取るのです。

真心のこもっていないお金や奉仕は受け取ってくださいません。 そればかりか、邪心をもってする奉仕活動では逆に、本人が地獄に堕ちることもある、ということをお話しましょう。
イエス・キリストは、神様の愛をこの世に伝えた方です。 いいお話が数々伝わっていますが、中でもマグダラのマリアの行いを褒める個所は感動的です。
メシア(救世主) の名が高まってきたイエス様には、多くの信者たちが、お金を納めにきました。 その行列を見ながら、お弟子たちが会話していました。
「イエス様、さすがあの男は金持ちだけありますね。 あんなにたくさんのお金をお供えしましたよ。
信心深いですね」「それにひきかえ、あの女、あれ五百円玉一個じゃないですか 服装も汚いが、心まで貧しいんですね」この貧しい女が、マグダラ村のマリアという売春婦だったのです。 ところがイエス様は言われました。

「何を言う。 あの男は、あり余る財産の一部、ほんの少しを置いていっただけだ。
それなのに、あの女は自分の全財産を置いていったばかりか、私の足を洗って、香油を塗ってくれたではないか」金持ちの百万円より貧しい者の五百円の方が尊い、こういう教えは仏教でもあります。 「貧者の一燈」というお話があります。
ある貧しいおばあさんが、仏様にお燈明を上げたいが、お金がない。 そこで自分の髪を切って油屋さんに持って行き、油と換えてくれるようにお願いしました。
昔はロ−ソクは大変高価だったので、菜種油に火をともしてお供えしたのです。 おばあさんの心をあわれんだ油屋さんは、ロ−ソクを一本あげました。
おばあさんは喜んでそのロ−ソクに火をともして、お供えしました。 一迅の突風が吹き込んで仏前にともる大火のロ−ソクを全部吹き消していや、一本だけ残った。
それが、おばあさんのともしたロ−ソク。 もちろん、仏様がお心を示されたわけで、そのおばあさんの心こそが尊いとおっしゃったわけです。
ところで、愛情、真心のこもっていない行いは、どうでしょう。

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